1.鍼灸学生の皆さんへ!鍼灸学生の方へ
鍼灸師を目指す学生に問う!
名人鍼灸師を目指す志をお持ちですか?鍼灸学生であるあなた方の数年後の鍼灸師像を想像できますか?卒後の姿はそれぞれ鍼灸臨床から離れる人、鍼灸臨床に進む人、様々ですが、鍼灸臨床に進む人を対象に話を進めて行きます。
ほとんど大部分の鍼灸師が一般的レベルの治療技能を有するか、ごくわずかな鍼灸師が大衆に注目される、鍼灸師となります。つまり並の技能者がほとんどで、ごくわずかな名人級が存在するという構成になります。ほとんどの鍼灸師は、並の鍼灸家を目指します。それは少ない努力で済む勘違いしているからです。
では楽な学習で済む並の技量の鍼灸師は、本当に楽なのでしょうか?それは逆です。なかなか治らない臨床でのストレスは、逆に並大抵のものではなく、治る臨床は全く楽しく、ストレスなど無縁です。そして何よりも受療者である、患者大衆がその治る鍼灸を首を長くして待ち望んでいるのです。また鍼灸師として立つ以上は、国民の要望と同じくより治療効果がある、病気をより治せる鍼灸修得が理想であるはずです。
ところがその多くの病気、障害を治す鍼灸法が問題です。各鍼灸学校、各鍼灸研修団体の様々な鍼灸法がありますが、それぞれの指導が並び立っているのは、効果において変り映えがしないということです。それは、日本古典鍼灸でも、中医学でも結果は大差がないということになります。
鍼灸学生あるいは現在臨床鍼灸師の方でも、高度の治る鍼灸法を選択するとき、そのような判断をしていますか?ほとんどすべての鍼灸師、鍼灸学生の判断は理論から入ります。そしてその理論の理解に一生を費やすことになります。西洋医学的鍼灸でない各鍼灸法には陰陽五行説、経絡理論があります。これらの理論から言うと、こうなっているという方式であり、自身の感覚で理解できないものばかりです。これでは理論が正しいものでなかったとき、どうするのでしょう。決して結果の出ない臨床を実践することになります。行き詰まり、廃業することになってしまいます。
これに対して新鍼灸法を指導する筆者の観点は異なります。理論の正さですが、「治る理論のみが正しいのです。理論から学ぶのではなく、効果から学ぶべきです」。
指導者はこう言います。「長い経験を積まないと古典理論は理解できない」。特に脈診について、細かく理解しようとすればいくら時間があっても足らないと言い、脈の状態を大まかにとらえて行けばよいというようなことを言います。脈で全身の臓象をとらえるものであるなら、その脈を大まかでは困ります。
まず、「効果を知ってその理論を知る」が道筋です。初心者はその指導者の治療効果を見ればよいのです。しかし、指導者がその治療効果を的確に示すことは、国内でも、中国で曖昧にしています。もし、確実な治療効果をぼかすような理論は、排除して行けばよいのです。刺鍼時、身体一部の気が至ったなど、を聞いて納得している学習者のレベルの低さもどうにかならないものでしょうか?新鍼灸法の基本にある気の流動は、刺鍼後1秒で全身に到達します。
国内の少数の名人鍼灸師と言っても、実力本位に言ったら、まだ存在していないというべきだと思います。その実力的真の鍼灸名人を我々は、「扁鵲的鍼灸家」と呼んで、その育成をしています。国民が、待ち望んだ志ある鍼灸臨床家を、筆者が長い間痛切に待って来ました。
治る鍼灸か?治らない鍼灸か?現在登録鍼灸師は17万人いると言いますが、みな現状の鍼灸の治療効果を検証せずに来ています。なぜならその検証能力もないからです。それは開業鍼灸師も、鍼灸学校教員鍼灸師も同じです。過去も現在も鍼灸がどこまで治るのか?どこまで治る可能性があるのか?全く脳裏になく、漫然と学び臨床をして来たのです。それは妥協と自己満足の臨床かも知れません。
受療する患者サイド、国民サイドから見れば、如何に鍼灸治療効果が低いか容易に分かることです。現代医学的病院医療が多くの疾患に無力なことが知られていますが、その治療効果に多くの問題を抱えている病院医学にもかかわらず、国民大衆は鍼灸よりそれでも病院医療を選択しているのですから…。
古典鍼灸理論を臨床効果上否定する新鍼灸法では、従来の各既成鍼灸法を治らない鍼灸だという立場を採っています。医療に完全という言葉はありません。病院医療では治らない疾患ばかりです。永遠により効果の高い理論、方法を追究して、競い合っていかなくてはなりません。我々新鍼灸法を指導する立場として、他の各既成鍼灸臨床家のように競わず互いを認め合う妥協心はありません。新鍼灸は他の各既成鍼灸を冷酷に批判しています。敢えて過激な表現法も採ります。医療界は仲良しクラブではないのです。
古典理論中にも治らない疾患の記述があります。1000年以上にわたり、基本がほとんど変わらないという理論、その治療効果も同じでこの間、進歩していないのでしょう。
「診断できないものは治らない」
なぜ既成鍼灸法は治らないのか? それは、診断ができていないからです。西洋医学でも同じで、原因が分からないものは治らず、対症療法が正当の治療法とならざるを得ません。現代の小学生でも古代医師より解剖学を知っています。古典鍼灸理論は、解剖学的に病態を説明できません。知ることができないから治らないのです。具体的には、身体機能の中枢である脳・脊髄の診断ができない。それを完璧に機能できるようにする役割の、頭蓋骨、脊椎、四肢骨の診断ができない。勿論、解剖学的各内臓の精細な診断ができない。
以上で判断していただけば、既成鍼灸がなぜ医療として治らないのかを納得できるでしょう。勿論、新鍼灸法に対する批判は常時お受けしています。その代り、既成鍼灸法での検証できない理論は率直に批判していきます。
「診断できないものは治らない」という意味は、多くの紙面を尽くしても臨床技能が高い臨床家にしか説明できませんの、鍼灸学生、鍼灸師の方はそのまま理解していただくしかありません。後日分かり易く説明できる日が来るでしょう。
次に、なんの鍼灸を体得するべきかを自問しなければなりません。既成鍼灸法では、先人の唱え、学校での講義する鍼灸理論を正しいものとして、そのまま鵜呑みにします。自分自身での検証のない理論をマニュアル化して学習をしていきますが、もしその鍼灸法が治らない鍼灸であったとしたら、治らない鍼灸を一途に一生学び、実行することになってしまうのです。
現代西洋医学が疾患の原因が解明せず、対症療法に徹している、膨大な数の症状名を病名として治らないことの言い訳にしていることは、既に国民が周知していることですが、更に高度の医療を実践しなければ知りえない西洋医学に存在する多くの問題点も、現状の鍼灸界レベルでは見えて来ないのです。鍼灸は西洋医学の重大な問題点をも指摘して、改善していかなければなりません。
これまで、学校の講義では卒後の臨床技術が身につかないという不満を多くの鍼灸学生が抱いてきました。不満を持ちながら、多くの学生が目先の学内試験、国家試験をクリヤーすることだけを目標とした全体の雰囲気に流されて来ました。ここに卒後の開業鍼灸師がきわめて少なくなっている理由があります。
卒後、盛業鍼灸師として開業できた人は、それとは違い在学中に臨床技術修得の目標を的確に立てていたはずです。卒後の目標が出来ていることで、鍼灸学校在学中の授業は卒後の臨床に通じるきわめて充実したものなるはずです。
鍼灸学生に訴える!
名人鍼灸師のみ国民は求めている。国民は現在の平均的鍼灸師は全く求めていない。鍼灸師1,000人の内5人で良いのです。5人の名人鍼灸師が存在したら、どれだけ社会に光を与えられるか知れません。1,000人のうち995には従来レベルでよい。志ある鍼灸学生、鍼灸師は社会の健康のためその5人を目指してください。我々はその為の惜しみない努力をしています。
名人鍼灸師への第一歩。以下の2点を指摘します。
1.現実の鍼灸効果レベルを見聞する!
と言っても、鍼灸界は閉鎖的です。非常に困難でしょう。しかし、新鍼灸法指導者の筆者の治療室では35年前の開業以来常時、見学を受け入れてきました。その後こちらから逆に当人の見学を求めると拒絶されました。特に研究会を発足してからはその指導のためにも、あるいは鍼灸界、手技治療界全体のためにもこちらから、すべての人に当方での見学を勧めてきました。それでも見学の問い合わせはわずかです。
2.鍼灸学生にとり必要なこと。鍼灸臨床技能の学習は自身で求めること!
鍼灸学校は資格を取るべく学ぶところで、臨床理論、臨床技能習得の基礎にはなりますが、その技能を修得するところではありません。あらゆる面から見ても、とても3~4年の学校教育で資格試験取得内容と臨床技能の修得を教育できるものではなく、学校教育には、資格試験に合格できる教育だけで感謝するべきです。花田学園初代校長故花田先生は、筆者の在学中に、鍼灸学校は、鍼灸の字引きを教えるところだと学生に言っていましたが、その通りです。臨床まで指導できるものではありません。臨床は自ら師と仰ぐ指導者を探し求め指導を仰ぐものです。教室に座して与えてもらえるものでないのです。最近の鍼灸学校は、臨床施設を充実させ、学生に便宜を図っていますが、サービス過剰である気がします。学生はますます、与えてもらう気持ちを強め、求める意欲を無くします。
学生は在学中、二股同時の志向が必要です。資格試験の合格の道、そして臨床家への道です。従来、ほとんどの学生が在学中は資格試験の学習一本で終わり、卒後臨床の学習と判断してきました。このコースは正しくありません。このコースで代々の鍼灸学生が失敗してきました。この資格試験と臨床の学習は同時に、進行させなくては、資格取得もなんのためだったか?という従来の鍼灸界に終わります。このことは、深く考察すれば容易に理解できるはずです。
今、国民が求めている医療は?
病院医療において多くの慢性疾患が治癒不能となっている今日、それを改善できる可能性を秘めている医療はあるのでしょうか?
鍼灸は如何でしょうか?それは鍼灸にあるのです。鍼灸といっても、従来の治療効果の向上が見られない従来の鍼灸ではありません。その病院医療を凌駕するところの鍼灸でなくてはなりません。それは当然、開業した場合、近隣にある各種医院が経営面で脅威を抱くだけの効果を上げる鍼灸でなくてはなりません。
なぜ万能な治療効果が特殊な鍼灸においては可能なのだろうか?鍼灸はあらゆる科の治療ができるからです。心臓疾患を呼吸器から、腎臓から、脳血管から関連を調べられるのです。頭痛を小腸からの食中毒の感染によるものとして知ることができるのです。心臓疾患を心臓臓器に限定していては病院医療が治らないのは当然なことです。内臓内からの感染は全身臓器、脳にも周ります。それを悪性腫瘍の転移に誤診されることも無限にあります。
従来の古典鍼灸は人体を一つとして視ているという欺瞞はもう止めましょう。各鍼灸理論、古典鍼灸理論では、人体をズタズタに診断しています。特効穴理論の存在など鍼灸は部分治療で、高度鍼灸なら、すべて原因治療が可能で、症状をぼかす対症療法を必要としていないからです。各専門の領域での多くの疾患に、医院を凌ぐ効果を上げられるはずだからです。現状の無資格の整体院との競合に目くじらを立てる水準の鍼灸ではありません。
当然それは、従来の鍼灸理論の枠を大きく外れたところの鍼灸です。少なくても、従来の理論的制約を全く離れたところの鍼灸理論、全く未知の領域の診断ができる鍼灸理論であると考えます。従来の鍼灸を凌駕した高度鍼灸技術の開発によって、今日の医療社会の問題を画期的に改善することが可能になるでしょう。その志を持った鍼灸師がより多く医療界に進出してほしいと思います。
新鍼灸法の開発
我々は、新鍼灸法を長年月かけて開発してきました。開発当初から病院医療に無批判に追従することを排除して、臨床体験での自己の感覚と患者の体を通した検査と治療による効果の実証に基づいた治療理論をシステム化してきました。その結果、病院医療での多くのあいまいな点、非科学的医療をも数多く見出してきました。また、それらが病院医療で多くの慢性疾患、日常的な慢性疾患においても効果を上げられない理由にもなっていることも分かってきました。従来の鍼灸ではこれらの病院医療の診断をそのまま正しいものと踏襲し、多く問題点を見落としてきています。
今後、難治疾患が溢れる社会を解決する医療は、多くの不完全部分を露呈している病院医療とその代替医療に安住している鍼灸ではありません。それらに代わる効果面での正統医療としての鍼灸だと思います。
新鍼灸法での臨床
我々が開発してきた新鍼灸法では、従来の鍼灸法理論の枠から大きく離れた未知の領域の検査から、多くの臨床上重大な問題を数々発見し、その検査法を基軸とした鍼灸理論を構築してきました。鍼灸を刺鍼のよる治療法としての原点に立つ鍼灸であり、一定の古典理論的枠から生体を見るものではありません。それは従来の病院医療、鍼灸学が全く知られていない生体現象で、多くの疾患に共通する臨床上きわめて重大な問題を発見しています。
代表的なものには、X線、MRI等の画像診断で検出不能な微細骨折や感染症があります。この2種の問題は多くの疾患に共通しており、多くの病態に深くかかわっています。感染症については病院医療でも身体の各部位にわたる感染では血液検査でも検出が難しいもので、これらが検出できれば未知の疾患の病態、原因を的確に理解することができ、多くの疾患を画期的に改善することが可能になります。
病院医療においても、従来の鍼灸臨床においても、これらの分野の存在を欠くことから表層的、一面的診断に成らざるを得ないのです。 これらの現象の見落としから、従来の鍼灸法による検査、治療効果の不鮮明さが生まれています。多疾患が原因不明とされ、画期的治療効果も期待できていません。そして予後の判断もきわめて難しいことになります。
鍼灸の需要
鍼灸界では従来から、鍼灸治療の需要が少ないとみなしてきましたが、それは全く誤りです。鍼灸院の治療効果が低いから患者が少ないのであり、病院医療での限界の疾患や障害で悩む国民が満ち溢れていることを、鍼灸師、鍼灸界は気づいていないのかもしれませんが、一般国民にとっては皆、周知の事実でしょう。
つまり、鍼灸の需要がないのではなく、治る鍼灸ならいくらでも需要があるが、現在の鍼灸レベルでは国民は鍼灸を求めないのです。そして鍼灸の効果がまだ国民に知られていないとの鍼灸界の声にも首をかしげます。鍼灸学生入学者数の激増から、鍼灸そのものは国民に知悉されていることが分かりますが、効果面で国民が信頼していないというだけです。
医師資格による病院医療でも治せない多くの疾患の治癒を目指すことが、鍼灸という資格によっては可能となるのです。これから取得する鍼灸資格を、このような高度治療効果を上げる鍼灸治療家として生かしてみませんか!
鍼灸の宣伝不足という声に
社会に膨大な難治疾患患者が満ち溢れ、そして永年の鍼灸普及の歴史がありながら、業界には鍼灸がまだ国民に知られていない。もっと宣伝の必要がある式の言動も見られますが、すでに前項で触れたように国民はすでに鍼灸にあまり期待できないと判断しているのです。患者が来ないという前に鍼灸師に求められているのは、ただ確実な治療効果を上げること以外にはないということなのでしょう。
鍼灸院がいかに少ない患者数でも、0でない以上効果が上がっていれば患者は増えるのが道理です。一人の患者から、兄弟家族、親類、友人、知人と留まることはありません。わたしごとですが、35年前に鍼灸学校時代の同級生からの紹介で、彼の姉の友人という人が来院しました。次にはその患者の書道の先生で高校教師の方が来院し、それからはその同僚から始まり、現在までそのルートで来院した患者は多地域に拡大し、少なくても1,000人以上に上っています。現在もねずみ算式に増え続けています。
鍼灸界が開業鍼灸院の経営難の原因を宣伝不足に転化するのは正しいとは思えません。
鍼灸の効果
鍼灸には、客観的な見方として効果があいまいということがあります。この点から病院医療における鍼灸は低い評価しかされていないのでしょう。古典鍼灸理論、あるいは現代医学的鍼灸理論どれを採っても理論上に限っては、完璧かもしれませんが、果たして効果の実証が伴っているのでしょうか?日常遭遇する多くの疾患に確実な効果を上げているのでしょうか?
指導者の中からは鍼灸は悠久の歴史を有している。西洋医学と違い、伝統として残っていること自体が科学的根拠であるという、理解し難い声も耳にします。呪術と一緒では困ります。
臨床上、痛み一つとってもきわめて複雑です。四肢関節系の痛みにしても、現在多くの痛みのケースでX線、MRIの画像から骨格の異常がない、骨は正常という整形外科の診断がされています。この点、鍼灸では検査ができるのでしょうか?骨は正常という見方の元に、診断ができないが治療をする方式の対症療法にならざるを得ません。急性の上腹部痛なども救急医療で鎮痛剤を打つくらいで、一両日後、痛みの消失と共に原因不明のまま退院させられる疾患が多発しています。これらの真因を確実に診断できるのです。
各鍼灸理論で複雑多岐にわたる人体各部位、部分の痛みについても説明できるでしょうか?なぜ痛むのか、なぜそこが痛み、その側が痛むのか?古典理論で説明できません。腰、下肢の痛み側と上肢の痛み側が逆のケース、手指の痛みが一指だけなぜ反対側に生じているのか等々、その障害の程度についても明確に説明ができるでしょうか?直ぐ治る痛み、なかなか治らない痛み、その理由を説明できるのでしょうか?更には、終末期の悪性腫瘍での疼痛緩和、あるいは一縷の治癒の望みをかけて来院する患者に対して、いずれも治療の要点は腫瘍の変化を知ることであるはずです。その変化を確実に診断できるでしょうか?理論枠を変えることから、これらのすべての問題を説明できる理論があるのです。
痛み一つ取り上げても、現代医学理論、あるいは古典理論で説明ができるほど生体機能は単純ではありません。人体は小宇宙と称しても、具体的人体細部の説明ではあまりも粗雑です。脈診では、最も関連がある心臓の詳細な検査ができない。患者の立位、座位、仰臥位それぞれの体位で脈状が変化します。また検査する術者の立位、座位によっても患者の脈状に変化が生じてきます。あるいは脈をとる各術者によっても、患者の脈状が変化してしまいます。
よく聞かれることで、「なぜか理由が分からないけれど、このツボで治るのですよ」 という鍼灸指導者の、自らのあいまいな臨床を恥じることなく、逆に誇らしげに語る例も散見します。検査に基づかない刺鍼を通常に行い、それは人体全体が見えていない対症療法であることにも気づかないようです。著名な指導者でも治ることが多くはないのでしょう。 悪性腫瘍なども疼痛緩和医療一辺倒、あるいは進行を遅らせればそれを良とする傾向を否定しませんが、鍼灸では悪性腫瘍を治してはいけないかのような圧力をかける空気さえ一部に感じられます。一部の病院勤務鍼灸師の医師におもねる影響かもしれません。
理論に基づいた刺鍼をしても、事前に効果の予測が立てられない。刺鍼後もし効果が見られなければほかの方法を行う。遠道刺、巨刺にしても、効果が上がる場合と効果が上げられなかった場合の理由を説明できない。その症状部位と刺鍼部位とはどのような関係があるのか?症状が消えればそれでよい。残存するときは治療が不完全として他の処置をすることが多いなどあいまい性が見られます。つまり、刺鍼の解剖学的作用が説明できないのです。
正確な治療がなされても症状が消えないとき、誤治療でも症状が消えることがあることを知らない等、種々な面で不確実な要素を抱えています。
鍼灸臨床はわずかでも検査に甘さがあれば高度治療効果は上がりません。いくらまぐれで著効があったと思っても、それは的確な検査での効果を知らないからで、決して著効ではなかったのです。疼痛緩和を目標にしているに過ぎません。治療効果とは生体の治癒力向上、健康度の向上です。治癒力の向上が計れる鍼灸理論が存在していなければ、以上のような多くの矛盾を内包し、それが隠されたままの鍼灸臨床となってしまいます。
正しい治療はすべてにおいて、正確な検査から始まります。検査がすべてで、その原因探求に一点の曇りも許されません。より正確な検査、即より高度の治療効果となります。偶然の効果など求めてはなりません。
鍼灸における感覚の訓練
鍼灸は元来、目に見えない、医学上も全くその存在すら証明できない気血の循環を基本とする、まさしく気の医学です。当然のことに脈診、触診での手指の鋭敏な感覚を重視するようですが、不思議なことにその具体的訓練法が皆無に近いのはなぜでしょうか?アメリカのカイロプラクティック大学では、様々な訓練法を指導されているようです。書籍の中に髪を一本挟み何ページまで、その中の髪を知覚できるか?あるいは学生は一個の椎骨模型を常時携帯して、ポケットの中に手を入れて手探りでその形をイメージする訓練などです。
次に挙げる我々が開発した鍼灸法では、触診での身体感覚、あらゆる検査における体勢作りを最重視しています。立位時の骨格が最高に機能した姿勢、それは脊柱が真っ直ぐに頭蓋骨の中心にあって頭蓋骨が四方への傾きが微塵もない姿勢により、脳の最高の機能、四肢の微細な感覚が発揮されるのです。これらの体の操作法、感覚の向上訓練のない鍼灸理論は、理論上の理論、畳の水練であり、臨床向上を計る鍼灸理論にはなり得ません。姿勢づくりの指導から、瞬時に未知の感覚を知ることができるのです。
半身症候鍼灸
現代医学の主流である病院医療と従来の鍼灸治療において見落としている、広範囲にわたる臨床上重要な生体現象があります。従来の医療においては一定の層までの問題しか検査対照になっていなかったのです。
例えば、病院医療では筋骨格系の障害に対して画像診断レベルを超えた微細な骨格の損傷は一切診断の対象外とされ、古典鍼灸理論では主に骨格系を中心とした生体の構造力学的、あるいは構築学的見方がありません。胸部、上腹部臓器の機能に直接関与している肋骨、脊椎についての記述がありません。泌尿器、小腸、大腸、生殖器機能に直接関与する骨盤の変位の検査もありません。
新鍼灸法は、国民から真に要望される、病院で不治の疾患の治療に厳密に対応できる治療法として開発しました。この新鍼灸法とは半身症候鍼灸といい、我々はこの鍼灸法を平成5年に考案した後、5~6年後より公開し指導しています。
精神疾患をはじめ、多くの脳神経系の疾患を脊椎、頭蓋骨、仙骨を構築学的変位の面からとらえ、骨盤の微細な変位の操作からの脳の変化で改善できることを知り、腰痛をはじめ筋骨格系の障害や、大部分の、子宮・卵巣疾患、下垂体の歪み、膨張、収縮異常。あるいはうつ症状の多くを脳の歪みや下垂状態との関連など、多くの重要な生体現象を発見しています。
この新鍼灸法(半身症候鍼灸)では、多くの疾患の重要な原因となる問題を、1~2点の刺鍼ですべて調整します。経絡治療での標治法のような選穴を追加することはまったくありません。その刺鍼ポイントは、イニオン(外後頭隆起)、左右上項線上です。そこが全身に及ぶあらゆる疾患を改善する反応点となります。0番の細鍼により約1ミリ浅刺しますが、置鍼時間は2秒で充分ですが刺鍼後の全身のチェック法のため20秒ほど刺鍼します。その時間内に全身の生体機能が活発になり、血液循環、筋肉系の弾力が改善され、脳、内臓の血行がよくなり弾力も生じます。脳神経である視界は明るくならなくてはなりません。そして同時に全身の障害部位が変化しだします。
半身症候鍼灸セミナーの基礎シリーズは3回連続ですが、参加者の修得力は、臨床経験の長さ、鍼灸学生の差は全くありません。物言うのは、人体という生体を操作する、謙虚な姿勢だけです。毎期、刺鍼経験の皆無な鍼灸学生のなかにも、目覚しい修得ぶりを見せている参加者がいます。わたしは、これらのセミナー参加者が、近未来の日本鍼灸を確実に改革していくことを確信しています。