2.鍼灸は何故東洋医学か?国民は東洋医学が治らないと思っている鍼灸師の方へ
鍼灸界で不思議に思うことがある。鍼灸界の指導的立場の方の発言の冒頭に、「鍼灸は東洋医学である」とその名称自体が偉大性を証明しているかのような言葉が多く聞かれることである。従って鍼灸は東洋医学であるから権威ある医学であると言い、鍼灸師、鍼灸学生を酔わせるようなコメントが続くのである。
果たして鍼灸は東洋医学なのだろうか?それは我田引水ではないだろうか?単に病者の体に鍼をするといっても、様々な理論に基づく刺鍼がありうる。刺鍼行為がすべて東洋医学とはならないことは当然である。この発言からは、東洋医学理論に基づかない鍼治療は低級であるという独善とその名称を権威化しての便乗が感じられるのである。
東洋医学は果たして偉大なのか?我々鍼灸師はもう自問自答する時期が来てもよいのではないだろうか?漢方エキス剤の保険適応で東洋医学が国民に身近になってきたのだが、国民の鍼灸効果の認識についての東洋医学は、鍼麻酔の中医学ブーム、気功ブームの低下と共に国民の期待感は色あせてきたと思うのである。
一般の国民はどうか? 健康を損ねたとき鍼灸院に行く人は、全体から見たら極めて少ない。約1時間も治療時間がかかって、4,000円、5,000円の料金では健康で収入があるときでもなければやたらかかれず、多くの障害が楽にはなっても治りきるまでの長期にわたる通院には耐えられない。国民医療としての主役にはとてもなりきれていないのは中国の中医薬学院の大学病院でも似たところが見られ、その施設全部が中医学で使用されてはいないようである。
鍼灸のすべてが東洋医学とは言えない
自己の感覚による見えないものを見ようとせず、触れられないものを感じ取ろうとせず、診断すべてを古典理論に依存する臨床によって、どのような効果が期待できるのだろうか?
解剖学的組織、臓器の正常・異常を的確に判定する検査法を所有しない鍼灸理論の脆弱性を正視するべきである。鍼灸界での古典鍼灸理論を否定する動きは、現在ほとんど消失してしまい鍼灸は東洋医学であるという決め付けは生体現象に対する客観的判断ができなくなる。戦後の一時期には、古典派と科学派との経絡の存在を真っ向から争う経絡論争があったが、それは不完全燃焼のまま終焉を見た。そして現在では経絡否定論者は市民権を得られない存在となっている。
科学派にしても都合よく、古典理論を適度に導入して、鍼灸界全体が互いを批判しない。この状況が鍼灸の進歩と言えるのだろうか?治療法、医学は治らない障害、病気が多数存在する以上向上して行かなければならない。業界全体がすべてにおいて競うことをやめたら、それは退行である。
半身症候鍼灸では、基本的に古典理論を排除し、更に病院医療理論を踏襲することも避けている。それは医学理論の下に行なわれている病院医療には、診断面で医学的にも多くの誤りが見られるからである。いま、「古典に還れ」の声が鍼灸界で聞かれるとき、我々は脱古典を標語にしている。
我々は古代中医学史上に現れる扁鵲の医療を指導目標にしているのである。古書の記述に「ある仙薬を飲んで壁を通して人体内が見えるようになった。だが、人には脈を見てそれを知ったと話した」と言う。
脈を診るなら、その本体である心臓の動きを触らず知ることで、手に触らず脈を診るということを目標としている。更にこの扁鵲の言葉からは、理論はその人のレベルにあった表現しか受け入れられないことが古代から変わっていないことも知るのである。
我々は古典理論以前の扁鵲治療を目標として実践し、指導している。臓象学説より内臓、骨格系等の解剖学的組織を扁鵲的透視面から微細にとらえた鍼灸治療を進めているのである。