9.明日の鍼灸は「素問・霊枢から脱却し、扁鵲の透視治療である」鍼灸師の方へ
現代の鍼灸理論は現代解剖学に準ずる科学派と素問・霊枢以来の理論を基本とする古典派および両方の折衷派が存在することは周知の通りである。
大方の見方は、現代医学的科学派は局部を対象とした対症療法、古典派を経絡理論に基づく人体全体を対象とする全体治療と見なしている。これらの従来からの各鍼灸理論がいかほどの治療効果を上げているのかとなるといささか疑問が残る。
これらの各鍼灸理論に比較して、粗雑な理論しか要せず、しかも短期で修得できる無資格医療の整体院に大衆の人気において対抗できなくなっている現実を、鍼灸師、鍼灸界は直視しなくてはならない。鍼灸が純粋な医療であることを忘れてはいけない。
無資格医療のマッサージ的手技療法を前に、素問霊枢、難経と古典理論、二千数百年の伝統の偉大さを主張しても、すでに一般大衆を説得できなくなっている。もっと広く国民の立場で医療を考えていみる時期も遅きに失したと言わざるを得ない。
鍼灸師資格修得者がこれほど増加しても、その多くは、ペーパー資格のまま。つまり鍼灸師資格の修得と鍼灸治療技術の修得は全く関係がないことを鍼灸資格修得者は理解していない。つまり、開業しても経営が成り立たないとこぼすが、これは外でもなく、少なくても現在の鍼灸治療の効果が低いことを如実に物語っているのである。
長年、学校側、鍼灸界では鍼灸が発展している、世界的に認められていると言い続けてきた。これも鍼灸界の指導層の自画自賛で見苦しい。
病院ではほとんどの慢性疾患がほとんど治らない、鍼灸でもせいぜい肩凝りや放っておけば治る腰痛の痛みを一時的に軽減させることしか効果がないのなら、気持ちよくマッサージしてくれる整体に患者は行くのは当然であろう。高度の理論があると言っても効果は民間療法レベルではしかたがない。
なぜ従来の鍼灸の治療効果が低いのか?
一つ、診断理論に矛盾があるからである。経絡現象さえ自身で知覚できないだけでなく、人体を望診して、体内を上下に流動する動脈・静脈を知覚できない。
二つ、高度効果の治療を見聞しない。これは総じて指導者の技量が低いことから、自身の臨床を見られることを避けようとする鍼灸界の悪弊がある。例えば脈診にしても正しい脈とは何か?これは最高の治療をする治療家の存在があってはじめてありうる理論なのである。今日そのような脈状の手本となる高度の鍼灸治療を実践できる鍼灸家が存在するだろうか?もし存在していないのなら誰も正常脈を体験することができない。鍼灸指導者層の指導には何かこそこそとした影がよぎる。
三つ、指導を受ける側にも鍼灸治療を極めようという志を有する者が見当たらない。その厳しさを忌避し安易な指導者で満足する。
こうして前述した、整体院に患者が流れていくのを傍観し、あるいはプライドだけは対抗している姿が見られる。
つまり扁鵲の行った透視診断である。素問・霊枢以降鍼灸治療は退化したのである。
新鍼灸法では一~二本の細鍼によって、現代西洋医学の薬物とメスでしかできない治療とは全く異なる多疾患に高度の医療を実践できる。現代西洋医学の薬物とメスでしかできない治療とは全く異なる多疾患に高度の医療を実践できるのである。もし扁鵲の行った透視診断ができると、鍼灸治療も全身組織にわたる透視診断が可能になるので、西洋医学、既成鍼灸では想定が不可能な多疾患の積極的な医療が拓かれてくる。一~二本の鍼の活用の威力を従来の鍼灸師は誰も知らない。人の生命力を蘇らせる鍼の偉大さに気づこうとしない。
扁鵲の透視治療とは、古医書では伝承されていない鍼灸医学である。それは外科医の華陀の行った透視治療でもある。透視とは扁鵲が最も得意とした望診の延長上の診断法を言う。
それは現代医学の解剖学を更に深く活用し、未知の生体機能を次々に発見することにもなる。もちろん説明の出来る形の新しい気の存在と気の流れを確実にとらえ、動脈・静脈の循環も望診から知り、刺鍼と同時にその体内の改善状態も知ることができる。このような動脈・静脈の循環の診断ができない鍼灸で経絡を正常化しているなどなぜ言えるのであろう。
当然、この鍼灸治療は経穴治療とは呼ばない。透視診断ができるが故に、経穴ではなく全身組織が完璧に改善する反応点刺鍼となる。しかもそれは1~2箇所のポイントでなくてはならないのである。